2014年8月7日木曜日

【STAP騒動の解説 260802】剽窃論 第二章 法律と内規(著作権法と剽窃の内規)(その2)




剽窃論 第二章 法律と内規
(著作権法と剽窃の内規)(その2)


2.  理研の内規
最初に、理研が「研究不正」としている内規を参考にしたい。
「第2条 この規程において「研究者等」とは、研究所の研究活動に従事する者をいう。
 2 この規程において「研究不正」とは、研究者等が研究活動を行う場合における次の各号に掲げる行為をいう。ただし、悪意のない間違い及び意見の相違は含まないものとする。
(1)捏造  データや研究結果を作り上げ、これを記録または報告すること。
(2)改ざん 研究資料、試料、機器、過程に操作を加え、データや研究結果の変更や省略により、研究活動によって得られた結果等を真正でないものに加工すること。
 (3)盗用  他人の考え、作業内容、研究結果や文章を、適切な引用表記をせずに使用すること。」
研究不正としての「捏造(ねつぞう)」や「改竄(かいざん)」についても整理したいが論点を絞るほうが良いので、ここでは「盗用」だけを取り上げたい。
理研の規則では、「他人の考え、作業内容、研究結果や文章」を「適切な引用表記をせずに使用すること」と「盗用=剽窃」になる。今回のSTAP事件では、この条項に反するとして処分の対象になったのだが、この規則はどのように評価するべきだろうか?
まず「引用しなければならないもの」として、「他人の考え」、「作業内容」、「研究結果」、それに「文章」とある。直ちに「不適切な内規」であることがわかる。 つまり、「他人の考え」というのは、読んでそのまま理解すると、理研やこの世の中に生きていたり、すでに亡くなっている人のすべての頭の中にある「考え」ということになる。
すべての人の頭の中にあることを「引用」するという方法はどういう方法がありうるだろうか? 古今東西の歴史上の人物や現在、生きている人のすべてにアンケートをだし、「これから次のことを論文に書こうと思っているが、それに関して現在もしくは過去に貴殿の頭脳に考えとしてある場合、ご連絡ください」と聞き、その結果を網羅しなければならない。
このことからわかるが、前節に整理した著作権法が「表現されたもの」という制限を置いているのは、表現されていなければ引用する具体的な方法がないからである。おそらくこの規定は文章が不適切で、「理研の従業員が、理研内部の研究会で発言などから知った他人の考えを盗み取るようなことはいけない」というようにきわめて限定された状況を想定しているのだろう。それでも「具体的な発言」などがなく、相手の「考え」を推定するのはたとえ小さい組織の中でも困難であると思われる。
また、「作業内容」では、たとえば「酸性溶液をピペットで採取し」という作業内容を書くときに、このような手段は「常用」のものであるから、多くの人が実施している。それを引用しなければならないということになると、同じ作業をした人のことをすべて引用しなければならないのでこれも非現実的である。
したがって、この規則(第3項)を根拠に理研の論文を審査したら、すべての論文が「不正」になるのは間違いない。すべての論文が不正になる規則を使用して、ある人が任意にその既定の中の一部だけを、特定の相手に対して適応するというのは、明らかに法律的な考えにも、公序良俗にも反する。「自分の嫌いな人を有罪にできる」という規則になるので、この条文自体が「盗用」の範囲を決めていないと言える。
ところで、研究不正に関する盗用について公表しているのは、文化庁と文科省などの政府機関であり、「理研の内規はそれらの規則に準じている」と言われる。しかし、すでに日本政府(監督官庁の文化庁)などの方針ははっきりしており、芸術、音楽などを含む知的財産の盗用については著作権法に従うとしている。
これについて政府の研究不正の概念を書いている平田容章さんの「研究活動にかかわる不正行為」によると、「著作権法の保護の対象は「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条)であるため、他の研究者等の研究成果やアイデアに基づく記述が論文にあったとしても、他者の著作物と同一又は実質的に同一の表現である、又は翻案であると認められない限り、著作権及び著作者人格権の侵害にはならない。」とし採用しており、したがって「研究不正」は法的な決まりではないと結論している。
その結果、研究機関ごと(文科省、東大、京大、理研など)に独自に「研究不正」を決めていて、その内容はほとんど理研と同じである。そこで「無期限に他人の頭に浮かんだアイディアを論文や著作に書いたら研究不正になる」という実施不可能なことが現在の「研究不正の判断の基礎」になっている。このようなことが起こったのは、学会がもともと「アウトロー」の体質を持っていることによると考えられる。
ここでいう「アウトロー」とは次の特徴を持つ。
1.法律より自分たちの内部の掟を優先する、
2.掟はあいまいで、どんなときにも適応できるので、嫌いな奴を処分することができる、
3.権力の方(罰する方)に入っていれば罰せられることはない。
実際にも、2014年のSTAP事件の時には、著者が複数いて誰が執筆し、だれが最終修正をしたかを明らかにせず、小保方さんだけを調査した。後に査読後の最終修正を若山さんが他の共著者の了解を得ずにしたことが明らかになった。また調査委員長が同じ種類の「不正」をしたが、委員長は辞任だけで済んでいる。
この種の専門学会では年配の男性か、もしくは女性の研究者が「**は最低の倫理である」というような抽象的な理由で自らの考えを主張することが多い。そしてそれは、「社会の中での著作物」ということではなく、「仲間うちの掟」の色彩が強く、それがこのような非論理的な結果を生んでいると思われる.
理研は上記の「研究不正の3つの内規」のほかに、研究不正への加担ということで、研究不正を見逃すこと、研究不正に加担することを挙げている。2014年のSTAP事件では、同じ立場の著者のうち、「バッシングしやすい女性だから」ということだけで、若山、丹羽、(故)笹井氏は小保方さんより年齢、地位、経験などから論文の責任はより重いとするのが常識的だろう。
その意味で、もし論文の責任を追及するなら小保方さんではなく、第一に若山、(故)笹井さん、第二に丹羽、第三に小保方であることは明らかだが、現実は小保方さんだけが調査委員会にかけられ、不正とされた。実に不当であり、まさに「貶めたい人を任意に貶められる」という規則であることが示された。
次に、不正を見逃し、不正に加担したという意味では、大々的な記者会見を行った理研、担当理事、理事長も合わせてほぼ同じ罪だ。このようにゆがんだ規則は不合理な処分を産む原因になると考えられる。

(平成26年8月2日)

武田邦彦

(出典:武田邦彦先生のブログ




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