2014年9月2日火曜日

【STAP騒動の解説 260902】 時事評論 科学における日本の後進性




時事評論 科学における日本の後進性



STAP事件はさまざまな意味で、「科学技術立国」と言っている日本の多くの人がほとんど科学技術を知らないことを露呈した。たとえばごく最近でも、日経新聞の記者が「科学論文ではどんな仮説を立て、実験でどう検証し、結論に至ったかを具体的なデータを示し理路整然と説明しなければならない。」と書いている。

この記者は「優れた科学論文」を読んだことがなく、日本の多くの学者が出しているような「人の後を追って、条件を細かく検討している論文」しか見たことがないのだろう。科学は「仮説、実験、検証、結論、データ、理路整然」が大切なのではなく、「直感、推定、あやふや、再現性なし・・・」でもなんでもよく、要はわれわれ人間がどうしたら自然を少しでも理解し(理学)、その原理を人間社会に役立てるか(工学)であり、「確実性」などは本来は関係がない。

かつて日米の学生の態度を比較したものに、「エントロピーの原理が正しいかを疑って、若干の考察をせよ」という出題に対して、アメリカの6割の大学生がチャレンジするのに対して、日本の学生はほとんど全てが取り組まない(エントロピーの原理は正しいと教えられているから)というのがあった。自分で科学を切り開いてきたアメリカ人は、科学があやふやであることを知っているが、欧米が作り上げた科学を勉強し、それを金科玉条のように思って疑わない日本人の後進性を示している。

最近、相対論を疑っている人の話を聞き、その人が学会から締め出されようとしていること聞いた。そういえば、私もレベルは低いが、「リサイクルは資源の浪費を早める」という発表をした時に、発表会場から「売国奴!」と罵倒されたことがある。

日本人が科学を楽しむ柔らかい頭脳を持っていないのか、それとも野蛮なのかは不明だが、STAP事件は野蛮人が現代人を痛めつけた一つの例だった。しかし、日経新聞の記者が「科学論文はしっかりしたもの」と固く錯覚しているのは、日本の科学のトップクラスの人が後進性を持っているからにほかならない。そこではSTAP事件で頻繁に出てきた「科学者ソサエティー」なるものが存在し、開放的な科学ではなく、ボス社会を構成しているからだ。

(平成26年9月2日)

武田邦彦

(出典:武田邦彦先生のブログ





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