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2015年11月13日金曜日

STAP事件、早大は結局「小保方問題」を片づけなかった。

 早大は結局「小保方問題」を片づけなかった
2015年11月13日 日経ビジネス 鶴野 充茂
早大は結局「小保方問題」を片づけなかった


早稲田大学が11月2日、小保方晴子氏の博士取り消しを確定したと発表しました。1年間の論文再提出猶予など大学側も異例の配慮をしたにも関わらず、審査の基準に達するものが提出されなかったことを理由に挙げました。

 大学側の説明は考え方も手続きも明快なのですが、結果的に、早大はむしろ教育機関としての信頼を回復するチャンスを遠ざけた気がしてなりません。 (出典:日経ビジネス)


大学側は、論文書き直し提出の期限切れという理由で、学位を取り消しましたが、教育機関としての義務を放棄したということですね。

また、新たな指導教官は、世間を納得させるだけの論文にする指導力がなかったのでしょう。


2015年7月13日月曜日

トヨタVS警視庁 「麻薬」常務をめぐる攻防

トヨタVS警視庁
「麻薬」常務をめぐる攻防

 トヨタVS警視庁 「麻薬」常務をめぐる攻防

豊田社長はハンプ氏の逮捕を受け、翌19日午後に記者会見を開いた。

そして、そこで「彼女は法を犯す意思がなかったと信じている」という旨の発言を5回も繰り返した。

不祥事に関する会見としては異例の「信じている」という表現、そして「役員も部下も私にとっては子供のような存在」「子供を守るのは親の責任」という言葉からは、ハンプ氏、そして戸惑う社員たちを安心させようという思いが窺えた。

いちはやく社長が矢面に立ったのも、後々「トップが頭を下げろ!」というバッシングが起こることも想定し、よかれと思ってのことだろう。その章男社長の対応には消費者の一部から「さすがトヨタ」という声も上がった。(出典:現代ビジネス)


トヨタという組織のトップとして、立派な対応ですね。

理研の野依理事長が、このように役員や部下を信じて、記者会見をされていれば、STAP細胞問題が、今回のように大きな犠牲者を出すことも無く、また、社会的混乱もなかったのにと思うと、非常に残念です。



2015年4月26日日曜日

STAP事件は研究不正か? 「他人に厳しく、身内に甘い」大学教授たち

 27論文で不正なし=ネット指摘で調査—大阪大


本日、「平等」ということ という標題のブログ記事を読みました。
もっともな、ご意見と思いました。

以下、記事の一部を抜粋(青字)
小保方氏を追求する事自体はかまわないが、それならば同様の基準で他の問題も、そして何よりも自身を追求すべきであろう。例えば、東大の加藤茂明氏の研究不正問題は、ベテランの世界的研究者が起こした問題であり、研究費も数十億円が費やされているのでSTAP事件よりももっと深刻なはずである。しかしながら、マスコミはほとんど取り上げないし、また研究費返還の話もほとんど出てこない。

大阪大学は「実験ノートなどが残っておらず同一画像とも別画像とも断定できなかった」19報の論文について「いずれも論文の結論に影響を与えず、データも残っていないため、本調査などは行わない」との決定

NHKスペシャルに出演してSTAP論文を事細かなに批判した大阪大学の3教授(うち2名は分子生物学会理事として、小保方氏の関与する検証実験停止の声明を発表)は、大学のこのような決定に対してなぜ異議を唱えないのか?

この記事を読んで感じたことは、「他人に厳しく、身内に甘い」という人々(大学教授、官僚、マスコミ人)が多いという現実です。
これも仕方がないのでしょうか?
不平等な社会ということですね。
現在の日本社会の風土なのでしょうか。・・・・・悲しいことです。



2014年5月11日日曜日

【STAP騒動の解説 260327】 教育者がどんな時でも死守しなければならないこと・・STAPと教育





教育者がどんな時でも死守しなければならないこと・・STAPと教育



教育者たるもの、どんな時でも命を懸けて守らなければならないもの、それは「教え子の名誉」だ。教育の責任はすべて教師にある。教えを受けた子供にはない。


STAP論文の関連で、早稲田大学がかつて認めた博士論文の審査を改めて外部に頼むとの報道があった。なんということか!!


・・・・・・・・・


中学校の時、定期試験で国語の答案を書いて先生に提出し、90点をもらって卒業したとする。その答案が保存され、公開され、ある時に、その答案の内容が「ある有名な文学者の作品の盗用」であったことが分かった。本人はすでに30歳で社会で活躍していたが、学校に呼び出されて卒業が取り消されたことを告げられる。


卒業生:「えっ! 卒業取り消し?! だって、先生が・・・それに僕は盗用したのではありません。僕の頭の中に文章が入っていたので、それを書いたのだと記憶しています・・・先生はどういっておられるのですか?」


学校:「先生はすでにご退職され、記憶もない。でも、ちゃんと証拠が残っている」


・・・・・・・・・


こんな日本は嫌だ。生徒がどんな答案を書こうが、先生が90点をつければ90点なのだ。そして、もしその答案に問題があれば、責任は90点をつけた先生にあり、生徒は教育中なので、責任は問われない。


教育とは「成果を残す」ことではなく、本人の実力をあげることだ。だから、基本的には教育が終わったら、本人に関することはすべて捨てても良い。本人が記念に持っておきたいと言うなら本人に渡せばよい。


この教育の原理原則は、小学校から大学、さらに大学院博士課程まで変わらない。提出した作品はどんなものでも、所有権は教育を受ける方にはなく、教育をしたほうにある。


大学でも採点の権限はすべて先生にあり、それは普段の試験でも、論文でも同じである。学生は博士論文の成果を自分のものにしたいなら、普通の学術論文として提出する必要がある。捨てるのはもったいないので、卒論などを図書館に保管することがあるが、それは「少しでも役に立てば」ということである。


法治国家では「法や規則はすべての人に平等」でなければならない。優れた答案や論文だから本人の責任を問うたり、中学校なら良いけれど博士論文はだめという「村の掟」を作ってはいけない。


また博士論文は、本人提出→主任教授の訂正指示→副査の先生の訂正指示→審査会→公聴会→教授会 というプロセスを経る。本人は提出した後は指示に従って修正するだけだから、社会的責任と言う点では、修正を強制される学生に責任を問うことはできず、主任教授、副査、公聴会に出た社会人、教授会にあり、本人にはない。権限なきところに責任もない。


また、学問としては、本人、そして主任教授、さらに副査の先生が意見を述べる必要があり、もしその意見を聞く必要があるとしたら、大学ではなく教授会である。大学は会社でも役所でもない。「上のものが責任を取る」ということは大学ではない。むしろ教授が採点した結果を学長が変更したら、そちらが罪になる。


教授は自分の授業を受けた「学長の息子」を「学長命令」に反して落第させることができる。このような専門職の業務の場合に、学長が責任を取る必要もない。学長が責任を取るのは、教授に任命したからでもない(教授の決定は教授会)、学校の経営などに関する「学長権限内」のことしかできない。


だから、今回の報道が正しければ、早稲田大学は権限を違反し、教育の基本中の基本(学生の責任を問わない)に反している。日本人の常識、マスコミの冷静で正しい報道に期待したい。


早稲田大学は直ちにステートメントを取り消すか、あるいは新しい教育論を説明してからにするとよい。大学は教授の保護者ではない。大学は過去の学生の瑕疵を責める権限もない。教授を保護して学生を罰するなら、大学を解散しなければならない。


(平成26年3月27日)
武田邦彦
(出典:武田邦彦先生のブログ







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