2014年6月23日月曜日

STAP事件後日譚 ムチャクチャな理研の改革委員会・・・やはりまだ整理が必要


STAP事件後日譚 ムチャクチャな理研の改革委員会・・・やはりまだ整理が必要



理研の改革委員会(外部委員による)が2014年6月12日に答申を出し、理研で「広く不正が行われたことを重視して理研の抜本的な改革に乗り出す必要がある」と結論した。あまりに論理性のない答申に私はびっくりしました。


今回の問題は「小保方さんという若い研究員が、論文を出すときに写真を3枚ほど間違えた」ということで、それらは一般的には問題にならない(理研の調査委員長が同じことをしていたことで辞任したことでわかる)が、今回だけは「理研の内規に抵触する」として処分することになったということだけだ。それ以上のことは調査が打ち切られたので「それ以外はなにもなかった」と言うことになった。これは理研の判断である。


ところが、改革委員会は「科学の三大不正事件の一つ」として理研の大改革を提案した。実に奇妙だ。理研は「写真3枚が不適切だった」として調査を打ち切ったのだから、それが理研全体を改革しなければならないなどという話ではない。


もし、論文か研究に組織的な不正(この不正とは理研の内規で言う不正ではなく、一般的な科学での不正)があったなら、調査委員会が笹井さん、若山さん、知的財産部、センター長などの関与について調査をして、その結果を受けて改革委員会が判断しなければならない。


改革委員会の答申が本当なら、調査委員会は日本社会に対してウソをついたことになる。論文の問題は小保方さんの不正(理研の不正の定義。一般的ではない)ではなく、複数の人の不正なのに、それを小保方さんだけの不正にしたのだから、はっきりとしたウソだ。


日本社会はウソに対して甘いから、調査委員会は何らかの事情があってウソをついたのだろうと組織の方に味方するが、それでは個人を尊重することはできない。


もし調査委員会が正しく、今回の問題が小保方さんの初歩的ミスによるなら、改革委員会がウソをついていることになる。つまり改革委員会は調査もしないか、調査の権限がなく、結論を出したことになる。もし調査委員会の結果が不十分ならまずは調査委員会の解散と再調査を命じ、その結果によって改革の方向を決めなければならない。


まして、再生センターの解散なども答申の中に入っているが、再生センターの一人が写真をミスしたら、再生センターが解散になると言う実に奇妙なことになっている。


改革委員会は調査もせず、単なる憶測か、文科省の指令で理研の不祥事を結論づけて、「外国が三大不正事件と言っている」という不誠実な表現でSTAP事件の総括を行った。もし小保方さんの写真の貼り間違いだけなら、この発言は日本の科学の信頼性を著しく落とす結果になっている。


ところで改革委員会と平行して、主として理研側からリークされたと考えられる、小保方さんの採用の経緯、経費の使用の仕方の問題、実験室の中の様子など、普通なら組織の外からは見えないことが、内部リークという形で次々と報道され、改革委員会の結論のほぼそれらの「不正なリーク」に基づいている。


ということは小保方さんの「理研の内規での不正」(本当は防いではない)よりも、より上位の人たち、調査委員会、改革委員会、理研理事などの不正の方が遙かに大きく、しかも、事実をそのまま話すことなく、内部リークという形で世論操作を行い、それを毎日新聞が報道するというきわめて暗い方法をとったのは実に残念だった。


毎日新聞がSTAP事件を報道するのは自由だが、その報道態度は一貫して「小保方悪し」に集中しており、理研のリークの仕方、調査委員会の不備、内規と法律の齟齬など、報道が公平を期する配慮を全くしていない。このことについては、糾弾する毎日新聞自体が報道としての不正をしていることになる。


小さな小保方さんのミスを追求する、理研中枢部、調査委員会、改革委員会、内部情報をリークする経理部、知的財産部、元従業員、それに自分は正しく悪いのは小保方さんだけと言い続ける笹井さん、若山さんなど実に醜悪である。


科学利権とはかくのごとく恐ろしいものであり、人の心をむしばみ、税金を無駄に使うことになる。日本社会には何か大きな傷があるのだろう。一人の研究者が書いた一つの論文の写真の貼り間違え(80枚のうちの3枚の軽微な間違い。ビデオ4本は正しいとされている)が「世界を揺るがす科学不正」であり、それは理研の体質がもたらしたものであるとされている。


おそらく、日本人の頭に「論文のミスばかりではなく、もっと悪いことが行われたのに相違ない。そんなことは調べなくても示さなくてもよい。日本村にある空気を作れば、その空気にそって特定の個人を罰し、組織全体に罪を問う。「わかっているじゃないか」と有識者は言う。「何がわかっているのですか?」と聞くと「そんなこと、言いたくない。わかっているじゃないか!」と怒鳴る。さらに聞いてみると、ネットの情報や理研のリークだけだ。


理研のリークを信じて、理研を解体する。そんな論理はない。研究がおかしいという遠藤さんというよくわからない人が情報を発信する、毎日新聞が理研リークを積極的に報道する、若山さんの前後がつじつまが合わない会見をNHKが整理して伝える・・・そうしてできた空気で「わかっている事実」を拡大に拡大している。単に販売部数を増やすためだけの目的で報道し、それに踊らされているのではないか?

(平成26年6月17日)

武田邦彦

(出典:武田邦彦先生のブログ




2014年6月19日木曜日

【STAP騒動の解説 260610】 なぜ、科学者は「ウソ」を問題にしないか?(2) 「自然」と「新しいこと」の特徴



なぜ、科学者は「ウソ」を問題にしないか?(2) 「自然」と「新しいこと」の特徴



前回、小保方さんと私の会話という形で、論文のミスより、内容に興味がある人はどういう態度で接するかという具体例を示しました。それと現実に1月から5月までに起こったことがあまりにかけ離れていることに私がびっくりしたことが理解されたことと思います。


2回目は、一般的に科学者が「ウソ」を問題にしないことについて、整理をしてみたいと思います。


私たち科学者は、研究して、その成果を学会で発表、まとまってきたら論文に出します。普段は学会にでて自分の研究を発表したり、他の人の研究発表を聞きます。私はこんなことを40年もやってきましたが、未だかつて「その結果は本当ですか、ウソですか」という質問を聞いたことがない。


学会での発表は、「ウソはない」ということを前提として聞く。そんなこと聞いては失礼だと言うこともない。私たちは科学に忠誠を誓っているのだから、もしウソではないかと思えば、「ウソではないか」と聞く必要がある。科学は人間社会の上にあるからである。


研究発表は原則として新しいことだから、「発表を聞く前には自分の頭に入っていない事実」だから、それが「ウソか本当か」など判別できるはずもない。だから、科学の世界では「ウソか本当か」を考えるだけ時間の無駄というものである。


それではまったくウソはないのだろうか? 科学は「研究対象の自然」と「研究する人間」の二つがあり、人間の方はウソをつくことがあるだろうけれど、自然はウソをつかない。だから、もし誰かがウソをついて、その研究がその人だけしかやらなければ永久にそのウソはばれないし、また誰も注目しないのだから、ばれてもばれなくても「意味がないもの」として歴史の中に消えていくだけのことだ。


STAP事件で日本社会が間違ったのは、「日常生活や政治など人間しか介在しないこと」と錯覚したからに他ならない。STAP細胞がウソなら、今後、だれも見向きもしないだろうし、本当ならだんだん、事実が出てくるだろうからである。その方が前向きで、労力も少ない。


人間がすることをいちいち「ウソか本当か」を確かめるとすると、学会にも膨大な「捜査班」を作らなければならない。しかし、「自然」という監察官がいるので、時が経つのを待てば自ずからウソか本当かはわかってくるし、ウソならウソを言った人は学会では誰も信用しなくなるので、罰も受ける。検察官も裁判所もあるので、問題はない。


第一、新発見、研究者の錯覚、ウソは紙一重で、それほど区別できるものではない。新発見でも100年近くは再現性がないものもあれば、研究者は多くのデータから間違いないと(善意で)思ったことが結果的にウソだったと言うこともおおい。なにしろ「新しく困難なこと」に挑戦しているので、難しいのだ。


単純ミスもある。私などは学生に「サンプル瓶には必ず名前を書け」と口酸っぱく言っていた。男子大学生はサボりだから、サンプル瓶に名前を書かず取り間違えることはおおい。また測定器が不調で思わぬ結果を出し、そのときにそれが「すばらしい結果」と思うこともある。あまりに荒唐無稽なら気がつくが、自分が「そんなデータが欲しい」と思っているときに測定器が偶然に壊れて、期待されるようなデータを出すこともある。


それも全部飲み込んで私たちは学会発表を聞く。国内はもとより、世界でも研究仲間はそれほど多くない。同じ研究の最大人数は4000名ぐらいと言われるが、普通は200人とか300人でも多い方だから、一度「ウソ」をついたら、その後は何回発表しても誰も聞いてくれないから意味がない。


また、ウソをつく人はほとんどいないが、それでも2種類の人がいて、卒業を間近にした学生、もう一つがやや頭の調子が悪くなった名誉欲の強い40歳から50歳代の人だ。学生は就職が決まり、万が一卒論を落第すると大変なことになるので、インチキをすることがある。また40歳代50歳代で他人との競争、地位を獲得するなどのことで、将来が見えなくなり、ウソに走る人もいるが、私の経験では最大でもウソは5年ぐらいでバレる。


STAP事件ではこのような私たちの日常生活と全く違う展開をした。多くの日本人が「ウソか本当か?」、あるいは「STAP細胞はあるのか?」などに関心を持った。小保方さんにレベルの低い質問をした記者は今頃恥じているだろうが、「STAP細胞はあります」と小保方さんが答えたのは実に可哀想だ。そんなこと、決まっているじゃないか。論文を提出した人は、その論文が不出来かどうかは別にして、論文の主旨はそう考えているから出している。それを聞いてどうするのか?と記者の頭脳の程度か、日本社会の異常性を感じた。


STAP論文が理研の誰かが仕掛けをしてウソだったこともある。でも、そんなことを詮索するぐらいなら、自分の興味のあることを研究して欲しい。詮索する人はSTAPに興味がないのだから関係ないじゃないか! もし正義感があるなら、小さな正義感ではなく、科学と人間のことを深く考えた正義感(無視)を選択するべきである。


科学に一般社会のしきたりや常識が入り込んだら、科学は進歩が大幅に遅れる。


(平成26年6月10日)

武田邦彦

(出典:武田邦彦先生のブログ




2014年6月15日日曜日

【STAP騒動の解説 260606】 なぜ、科学者は「ウソ」を問題にしないか?(1)  小保方さんとの対話


なぜ、科学者は「ウソ」を問題にしないか?(1)
  小保方さんとの対話



私がSTAP論文を読んだとき、小保方さんが横の机にいたとしましょう。なんと言っても著者が隣にいるのですから、とても便利です。私が読み終わって、


武田 「小保方さん、なかなかおもしろい論文ですね」
 小保方「ありがとうございます」


武田 「ちょっと質問なのですが、この2枚の画像は少し論旨と違うような気がしますが」
 小保方「えっ、そうですか? ちょっと、チェックしてみます・・・・・・」(しばらくして)
 小保方「すみません。先生。少し古い写真と間違えたようです」
 武田 「ああ、そうですか。これですか(小保方さんが示してくれた写真を見て)・・・なるほど、結論などは変わりませんが、正しい方に入れ替えておいた方が良いですよ」
 小保方「すぐ、ネイチャーに連絡してそうします」


・・・・・・・・・


武田 「それはそうと、外部からの刺激で万能性を持つ可能性もあるのですね」
 小保方「ええ、研究はまだまだですが、おもしろいと思います」
 武田 「この研究、小保方さんが理研に入ってまだ無給研究員だった30歳前にやったのですか?」
 小保方「ええ。そうです。若山研究室の時の仕事です」
 武田 「ご立派ですね。写真の取り扱いなどは慎重にした方が良いですが、これからの研究に期待しています」
 小保方「ありがとうございます」


私の興味は「そんな細胞もあるのか」ということであり、写真が少し間違っているかどうかなどということはない。武田「学問は厳密なものだから、これからは写真をしっかり管理して間違えないようにした方が良いですよ」と若い研究者を指導する。私達ベテランの研究者は若い研究者のミスを糾弾するために存在するのではなく、指導し励ますことである。


それに私の興味は学問的なことなので、写真が2枚、3枚間違っていても、論文を取り下げもらっては困る。彼女のアイディアに接することができなくなる方が痛手だ。日本社会は論文が読めなくなる方がうれしいという反応をしたが、私には全く理解できない。


論文に小さなミスがあることは若い研究者にはときどきあることで、良いことではないが、だからといってよってたかって研究者をいじめる気持ちにはまったくならない。むしろ、着想の良い研究をした人は励まし、教育しなければならないし、自分としても興味があるからだ。


その点では、日本の専門家やマスコミが「小保方さんの論文を撤回させられるか」に懸命だったことは実に奇妙だった。


さらに私と小保方さんは少し会話をするだろう。私がこれまで大学院の学生と話してきたように・・・
 武田 「小保方さん、小保方さんは時々、論文やネットの文章をそのままコピペして使うと聞いていますが」
 小保方「はいそうです。その方が効率的ですから。私が書いても、書いたものを使っても同じですから」


武田 「それは正しい認識です。著作権法で定められた文章以外に著作権のあるものはありませんし、科学の論文は著作権法の言う「思想または感情に基づく創作物」でもありませんから、人類共通の公知の財産として大いに利用するのが良いのです」


小保方「でも、ダメだって言う先生もおられるのですが」
 武田 「確かに学会の「村の掟」があって、世間を知らない先生や文化系の人が「公知」というものそのものを知らないこともあります。だから、私は学生に、「本当はどんどんコピペした方が学問の進歩にはよいのだけれど、つまらない非難を浴びないようにできるだけわからないようにコピペしておいた方が良い」と教えています。」
 小保方「そうですか。私も今後、注意してわからないようにコピペします」


悲しい現実です。学問の世界は正しいことを厳密に追求するのに、社会がお金にまみれ、学問の世界もお金にまみれてしまっているので、「公知」をいやがってお金にしたい学者が多いのです。

 (平成26年6月6日)

武田邦彦

(出典:武田邦彦先生のブログ

2014年6月13日金曜日

【STAP細胞】 改革委員会による記者会見【2014/6/12】

【STAP細胞】改革委員会による記者会見【2014/6/12】 ( 1時間46分 )


委員長ならびにメンバーは、立派な方々とは思いますが、「研究不正再発防止のための提言書」には違和感を感じます。

「論文作成ミス」を「研究不正」と決めつけていますが、そもそも今回の件が、本当に研究不正と言えるのでしょうか?

最初から研究不正を前提にした「研究不正再発防止のための提言書」は、検討不足ではないでしょうか?

先ず、理研が組織の責任で特許を出願しているほどのSTAP研究が、一般常識で考えて、一個人の研究不正ということがあり得ますか?

つまり、理研も含めて全員がSTAPはあると考えて行動していたのです。
その結果、STAPの発明は正しいが、論文作成時にミスがあったということが、現在の状況です。

理研の規程で「研究不正」の対象外となる「悪意のない間違い」であるにもかかわらず「研究不正」とされたことに対して、小保方さんサイドは承服していません。

裁判で決着していれば話は別ですが、理研の調査委員会の、一個人に対して「研究不正行為があったという結論」こそが問題なのです。

若い研究者が、論文作成時にミスをすれば、解雇になるほどの罰を受けるということは、一般常識とかけ離れています。

論文とは、そのようなものでしょうか?

ご自分達は、若い時にミスしたことは無いのですか?

それに、論文が取り下げられたから、STAPはもう無いといっている先生の説明も変です。
STAP細胞作成のアイデアこそが論文のキモであることは、科学者でなくても分かります。
一度、公開された論文内容は既に公知となって、アイデアは公開されたのです。


2014年6月12日木曜日

STAP細胞問題 改革委、理研に提言「小保方氏に厳しい処分を」(14/06/12)

小保方さんには、法廷で、論文不正では無いことを明らかにして欲しいと思いますね。
「論文不正」を認めると、それを今度は拡大解釈して「研究不正」だと言う人も出てきますから、困ったものです。



小保方STAP再現実験参加への提言QA
 6/12改革委員会





2014年6月5日木曜日

「超」不明朗なSTAP事件・・・関係者は全員、学問から身を引いてもらいたい




「超」不明朗なSTAP事件
・・・関係者は全員、学問から身を引いてもらいたい



昨日の四大新聞の夕刊にはすべて一面トップで小保方さんが論文取り下げに応じたという記事を掲載していた。テレビでも盛んに報道されていたが、いったい、なんだろうか?


STAP論文は科学論文であり、科学的に問題があった場合は、科学的に何が問題かが明らかになることが先決である。私たち科学者(この場合は自然科学を指している。広い意味の科学には文学(人文科学)なども入る。)は「人」を相手にしたり、まして「人のゴシップ」などは全く関心がない。「人」や「ゴシップ」も大切かもしれないが、科学の世界から切り離してもらいたい。


小保方さんは3年前に理研の若山研究室に無給研究として入り(事実はほとんど説明されていないので、推定を含む)、一年目にSTAP細胞の研究の第一段階を突破して、ネイチャーに論文を出した。若山氏は自らの研究室に小保方さんを招き、研究させていたのだから、その内容も成果も十分に理解している。


研究室では週に一回か、月に一回は研究会をするし、小保方さんが外部で発表するときにはその内容を見ている。論文の共著者で分析など一部を担当した人は別にして、若山ー小保方は同一研究室の上下関係にあるから、すこしでも大学や企業で研究をしたことがある人はこんなことは当たり前のことだ。


もし、若山氏が2年前に小保方さんが論文を出すとき、「実験していない」とか、「データが不自然だ」というなら、論文を出すのを止めさせ、自分が共著者になるのを断るはずである。
しかし現実には2年前にネイチャーとサイエンスという二つの雑誌に投稿している。審査(査読)段階で拒否されているので、余計に内容は理解している。


次に、昨年の1月だから、小保方さんが若山研究室にいるときに、笹井さんが論文作成のためにチームに加わった。その時に誰かが笹井さんに依頼し、笹井さんも京大教授から理研に転身した人だから、実験内容、研究解析状態、データの確実性、査読の経緯、査読委員の反論などすべてに目を通した結果、「自分ならできる」と考えた。このとき、まだ小保方さんは無給研究員である。


小保方さんの業績は理研の中で高く評価されて、4月からリーダーになった。部下もついて本格的な実験が始まり、4月には理研は特許も出した。12月に論文が通り、2014年1月に理研主導で記者会見が行われ、世の注目を浴びた。


しかし、「論文が不出来だった」という指摘をネットから受けて、理研はなぜか狼狽し、調査委員会で「論文が不出来だ」という判定をだした。「研究方法に欠陥があった」とか「研究結果が間違っていた」ということは2014年5月に理研が最終的に調査を打ち切る時点で、明らかになっていない。


つまり、「論文のできが悪いから、論文を掲載する雑誌社(民間の出版社)が掲載を認めても、理研は認められない」ということで取り下げを迫った。理研は取り下げを迫る権限を持っていない。そのときの理由は、3枚の写真のミスであり、残りの77枚の図表や4本のビデオについては適否を述べていない。


実に不明朗だ。理研も、若山氏も、そして笹井さんも学問をする場所、あるいは学者ではない。学者のもっとも基本的な用件は「世間がどう考えようと、自らの学問的判断から「真実」と考えていることをそのまま言う」ということだ。それでなければ学問は成立しない。


マスコミは主として東大・京大などの論理曖昧な学者に聞いて事実を見誤っているが、せめてマスコミらしく、若山氏(上司)、笹井さん(協力者)、小保方さんの部下(実験担当者)などに積極的に取材し、事実を明らかにする行為をするべきだった。


昨日、あるテレビで「若山氏も発言すべきだ」と言っていたが、マスコミとしては不見識だ。記者というのは取材の権利を持っているので、理研の正式発表や、記者会見だけにソースを求めるのではなく、取材によって得られたことを中心として番組を構成するべきだからである。


科学の問題は科学で解明し、解決していかなければならない。それなのに、科学のことがほとんどでないまま、あるいは単なる噂の段階で新聞の一面をスキャンダルとしてでて、ケリがついたようになったのは日本の学問にとって実に大きな損失である。日本学術会議、東大、京大など日本の学問の中枢はいったい何をしているのか? 一説(噂)に「小保方さんは倫理観がない」というのが中枢部から聞こえているが、自分たちだけがわかっている事実を示さないとしたら学者を止めてもらいたい。


それに、「論文が取り下げられたのでSTAP細胞はないことになる」などと荒唐無稽な記事を出している新聞もあったが、「知的財産」というのは一回、見たり聞いたりしたら頭に残っている。消すことはできない。裁判所で「それでも地球は回っている」と言っただけで地動説は残っている。学問は形式、隠蔽、権威などとは無関係である。

(平成26年6月5日)

武田邦彦

(出典:武田邦彦先生のブログ






2014年6月2日月曜日

STAP事件後日譚・・・醜悪な理研と毎日新聞





STAP事件後日譚・・・醜悪な理研と毎日新聞


どうしたことでしょうか? 毎日新聞の特定の女性記者のようですが、毎日のように小保方さんをバッシングする記事を出しています。すでにSTAP事件は理研が「調査委員会を再開しない」と発表して一段落しています。


もともと、この事件は理研(小保方さんではない)が大々的に記者会見をしたことで世間の注目を浴びたものですが、その後、論文に疑義が生じ、社会的な話題を集めました。そして理研が2回、小保方さんが1回、笹井さんが1回記者会見を行い、それぞれ違った見解を示しています。


そして理研が調査委員会を開かないことを表明し、お互いに情報戦は終わりになっています。また小保方さんは法律に違反した犯罪人でもなく、タレントでもありません。単なる一般人の一個人です。


ところが、最近、どういう意図を持っているのかは不明ですが、「すでに終わったことで、一般人」なのに、毎日のように毎日新聞から「理研がリークした小保方さんに不利なこと」が報道されています。


その内容は小保方さん(2013年正式社員で入社一年目)の責任とは考えられない予算の使い方の不都合、論文のさらなるミス(”ミス“としたほうが間違いと思うが)、採用の時の問題(小保方さんに関係がないが印象を悪くすることは確か)などです。


くり返しますが、まず、第一に小保方さんは犯罪人でも、タレントでもなく、普通の一般人で研究者で、しかも理研の従業員です。騒ぎになったのは、単にマスコミが理研の記者会見に幻惑されて1月末に報道しすぎたというだけのことです。彼女の論文に科学的な興味を感じて読んだ人は少ないと思います。多くの人が単にスキャンダルとして見ているのが現状です。


毎日新聞というのは全国紙で、その発信力は絶大です。その絶大な発信力を使って犯罪人でもタレントでもない一個人をここまで執拗にバッシングする意図はどこにあるのでしょうか?


まず、この行為は「社会正義」ではありません。社会正義の最も基礎的なものは「法律」ですから、放送法第四条のように巨大マスコミは「意見の違う時には多角的に」というのが原則ですから、理研の方の情報に重きを置くのは問題です。


また、オウム真理教の松本事件の時に、普通の人がマスコミによって犯人に仕立て上げられたことをキッカケに、一般人の報道についてはかなり改善されてきたのに、小保方さんの件になると、まるで「小保方さんは刑事事件の犯人だ」といわんばかりの報道姿勢です。


コピペにしても、写真の誤用にしても、むしろコピペの方が著作権法に合致しているのですから、法令を守って村の掟を破った人を村の掟を重視する側に大新聞がつくのは不見識です。


放送は中止になりましたが、小保方さんの名前をもじって彼女の人格を傷つけようとしたテレビ局もあり、日本社会が「法律に基づかないリンチ」=子どものイジメとなんら変わりない・・・という状態にあるのは残念です。


また、「理研の規則」のうち、他人の文章をコピペしたことを「盗用」としているのは、理研の規則が法令に違反しているのですから、「理研の規則で罰せられたのだから有罪だ」などということも無く、むしろ法令に違反する規則を決めて、従業員を罰っしようとしている理研の方に辛い姿勢を取らなければならないでしょう。


このように見て行くと、毎日新聞の報道姿勢は、「法令に元ずく正義を軽んじ、自分たちの村の掟、日本の空気、個人のバッシング、イジメを優先する」という実に醜悪なものであることが判ります。


即刻、これまでの報道態度についての見解を示し、軌道修正することを求めます.こんなことではどんな社会問題も解決せず、こじれるだけで日本の大新聞としての存在価値がなくなります。

(平成26年5月28日)

武田邦彦

(出典:武田邦彦先生のブログ





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