2014年7月10日木曜日

【STAP騒動の解説 260706】   科学の楽しみ(2)   「結果」と「原因」


科学の楽しみ(2)
 「結果」と「原因」



STAP事件をキッカケにして「科学とは何か?」、そして「科学の楽しみとは」ということに少し触れてみたくなった。第一回は「未知の世界」というのがどういうものか、なぜ科学の論文で「再現性」を求めないのかについて書いた。


第二回目は、学生が良く陥る「原因と結果」である。たとえば、学生に「人間の筋肉の量は何によって決まるかを調べてくれ」と言うと、学生は身の回りのネットなどで手軽に調べられる資料で調べてグラフにしても持ってくる。そのグラフが次のような関係だったとする。


学生が提出したグラフには横軸が年齢、縦軸が筋肉量で、20歳から筋肉は徐々に減少している図が書かれていた。そして学生は「先生、筋肉は年齢によって減少します」と説明する。


そうすると私が「そうかな。このグラフだけではそんなことは判らないと思うけれど」と言うと、学生は血相を変えて「先生!ハッキリと年齢が原因で筋肉量が減ることが判るじゃないですか!実際に僕の身の回りを見ても・・・」と必死になる。


このグラフは「現在の日本人の年齢と筋肉の関係を調べたら年齢とともに筋肉が減ることが判った」というだけで、「年齢によって筋肉が減少する」ということを示しているものではないが、この差は学生には判らない。


学生は単にネットで手に入りやすいデータを調べて、グラフにしてきただけで、しかも「年齢とともに筋肉が減少する」というのは「自分のこれまでの先入観」や「日常的な感覚」にあうから、これで先生がOKしてくれると思ったのだろう。


学生の人ばかりではなく、一般の人も何かのグラフと先入観が一致すると、それを信じる傾向がある。しかし科学者は慎重なので、この段階ではまだペンディングだ。そして、学生には「年齢によらずに同じ負荷を筋肉に与えた実験はないだろうか?」と聞く。


このような追加の調査を言うと、サボりの学生はいやがる。彼は事実を知りたいのではなく、早く課題を終わりたいからだ。本当に事実を知りたいという学生はほとんどいないが、もしいればさらに調べてくれる。そうしてグラフを持ってくる。


「先生、やはり年齢とともに筋肉は落ちるようですね。同じ負荷をかけている場合は、少し減り方が少なくなりますが」と言う。私はそれでも納得していない。「そうだね。かなり減少率が変わったね。同じ負荷の場合、なぜ年齢が違うと筋肉の減り方が変わるのだろうか?」と学生に聞く。この場合のサボりの学生なら「先生は面倒なことを言うな」という顔をする。


私は学生を一流の科学者に育てたいから、さらにいう。「すまないけれど、スポーツ選手の筋肉の減り方を調べてみてくれないか?」


その結果がこのグラフだ。意外なことにスポーツ選手は年齢によって筋肉の減少が大きく、特に30才を超えると急激に減少する。実に奇妙だ。スポーツ選手は鍛えているのだから、筋肉は普通の人より減り方が少ないはずなのに逆に大きいし、年齢によって大きく変化している? そこで、少し専門的な論文集を学生に渡してヒントを与える.自分自身もその結果がどうなるかわからない。


学生が最後に持ってきたグラフがこれだ。かなりゴチャゴチャしてきたが、ようやく一段落する所まで来た。これが真実かどうかは不明だが、このぐらい解析すれば次の研究に役立つ。


筋肉には普通の生活に使う範囲のものと、人間の体の全体に見られることだが、能力一杯に出すときの筋肉とに分けることができる。その区別をして見ると、筋肉に同じ負荷をかけた場合、日常的な生活に使う筋肉の量は年齢によらないが、スポーツなど特別に鍛えてつけた筋肉は同一の負荷をかけても年齢とともに減少し、特に30才以後はその傾向が強いことが判った。


つまり、私たちの経験から来る常識(年齢とともに筋肉の衰えを感じる。スポーツ選手も30を超えると成績が落ちる)から、最初のグラフ(年齢とともに筋肉が落ちる)のは当然で、歳を取ると筋肉が減るのはやむを得ないように感じる。


ところがさらに調べて行くと、実は日常的な筋肉は、若い頃の方がスポーツや力仕事をするから筋肉が減らず、歳を取るとサボるから筋肉が落ちるということがわかる。さらにスポーツに使うような「普通にはない余分な筋肉」は、20台ならまだ何とかなるが、30を過ぎると低下することが判る。


できるだけ少ない労力で筋肉の衰えを理解しようとすると学生のようになる。でも科学者は効率も義務も関係ない。そして「ああ、そうか!筋肉が年齢によって衰えると思うのはこういうことか!!」ということが判る.その楽しみが科学なのだ。


自然現象というのは難しいものだ。でもそれだから面白い。でも「なんでも早くかたづけたい」と思う人は科学には向いていないし、もしかすると科学者はある程度、偏執狂であり、常識を疑わう人の方が適正があるかも知れない。職人が自分の作品に満足するまでやるように、科学者は自分の頭脳が完全に満足するまでは疑問を持ち続けるものだ。


(平成26年7月6日)

武田邦彦

(出典:武田邦彦先生のブログ







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