2014年7月13日日曜日

【STAP騒動の解説 260606】 官房長官と理研調査委員会の記者会見





官房長官と理研調査委員会の記者会見



「説明してみんなにわかってもらいたい」という気配がまったく感じられないのが、官房長官のいつもの記者会見と、理研の調査委員会で前調査委員長が写真の(不正)使用で退任した後、代わりに委員長になった弁護士の人である。


もし、この世に政府が二つあり、それぞれの政府に官房長官がいて、どちらかわかりやすい方に予算を分配する仕組みなら(普通の町の商売)、にこにこ笑い、わかりやすい説明を試みるだろう。でも、官房長官は一人だし、彼の給料が国民から支払われていることはとうの昔に頭の中にはないように見える。


アメリカのように陽気で民主主義が根についているところのスポークスマンはほぼ笑顔で、愛想もよい。最近では中国も少しずつ女性のスポークスマンなどを使っているが、まだ「教えてやるぞ」という気配が感じられる。


一方、理研の調査委員長は、税金を使った理研の研究に不正があったかも知れないという時の責任者だから、調査については理研を代表してお詫びの気持ちでいっぱいのはずであるし、不正があってはいけないという気持ちも持っているはずである。


特に前委員長がこともあろうに、写真の不正を糾弾する責任者が不正な写真の使用をしていたということで辞任したのだから、かなり腰が低いかと思ったら、説明は不親切、一見して傲慢な顔つきだった。ぶっきらぼうの説明で「国民にわかってもらいたい」というのではなく、「できるだけ話したくない」という態度に終始していた。


若い研究員が80枚ある論文の写真を3枚、ミスしたというだけで調査を打ち切り、不正をしたのは若い研究員個人だけと言ったのに、現在の状態はそれどころか、政府、理研、関係学会が総出で、なにか「日本国の研究不正」に取り組んでいる。もし、「日本国の研究不正」に取り組む方が正しいなら、逆に「小保方さんの写真の取り違え」などは個人の問題だから、それで調査を終了して小保方さんだけを、写真3枚のとりちがえだけで処分するというのは実に奇妙だ。


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「説明責任」という時代、「民主主義」のものと日本でもあり、懇切丁寧に多くの人の疑問に答え、政府は政府の方針が国民に伝わるように力を尽くし、理研は不祥事をわびてできるだけ正確に国民に理解してもらわなければならないのは当然でもある。


憲法改正論議もそうであり、原発再開問題でも同じだが、まだ日本は近代化されていないので、どうしても「上に立つもの」とか「天下り」という意識があり、政府の上層部や国の機関の人が、税金を使っていることに対する正しい認識を持てないようである。


おそらくは日本では民主主義は、その考え方を輸入したもので、戦い、あるいは血を流して獲得したものではないので、なかなか身にしみるには時間が必要なのかも知れない。でも、「国民が判断するのだから、国民にできるだけ多くの情報を丁寧に伝える」ということに力を注ぎ、国民の合意の元で日本の力を結集できるようにしてもらいたいものである。


特に、スポークスマンの立場にいる人(官房長官や理研の説明に当たる人)は、まず第一に「どんなことがあってもウソをつかないこと」、「丁寧に説明すること」について十分な配慮をして、我慢強く新しい日本を作る努力をして欲しい。


たとえば、秘密保護法にしても、集団的自衛権にしても、多くの国民が「よくわからない」と言っているのだから内閣としては可能な限り説明の機会を作るべきだろう。また理研は、笹井、若山、丹羽、小保方さんの役割や、現実の研究状態など、普通の人にわかりやすく、包み隠さず(理研は特に隠す必要がない)、説明をすることを望んでいる。


理解できないことが山積みになるのは、選挙で代議士を選出するという議会制民主主義というものと反するけれど、それを補充する役割を持っている新聞やテレビはどうしているのだろうか?


(平成26年6月9日・・・日付は最初に執筆した日を示しています。掲載日は自動的に記録されるのと、その間での調査、修正がわかるからでもあります。)

武田邦彦

(出典:武田邦彦先生のブログ






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