2014年8月2日土曜日

【STAP騒動の解説 260731】 剽窃論 第一章 若干の具体的事件 (その2)



【STAP騒動の解説 260731】
剽窃論 第一章 若干の具体的事件(その2)


 3.京極国立研究所長事件

2010年、朝日新聞が「国立研究所長の盗用」として約23年前に京極所長が書いた論文の一部に「他人の論文の盗用」、「使い回し」があったと報じた。日本の福祉関係研究の主要な学者であったこともあり、報じたのが朝日新聞ということで、多くのメディアが追従した。

この事件は彼が厚生省社会局専門官であった時代に、複数の専門家に社会福祉の国際比較を依頼、その報告書から抜き出したものだった。彼は国が調査を依頼して、その結果提出された報告書は「論文」とは違い、それを自由に利用してよいと認識し、研究者にもその旨を口頭で了解を取って利用したので、引用しなかった。

事件は単純で、名誉棄損の裁判になり、朝日新聞側が謝罪する内容で和解しているが、本人は大学の学長でもあり、名誉は著しく低下し、その残念な気持ちを次のように述べている。

「最後に、私は、厳格なキリスト者である恩師・隅谷三喜男の弟子である私の研究者人生において、他人の論文はもちろん、アイディアですら無断引用したことはなく、むしろ、先行者の文献をできる限り引用注などで表記するよう最大限の配慮を行ってきたことは自負しているところであり、また、見識ある研究者の間では、他の福祉系研究者と比べて、かかる配慮が私の論文の大きな特徴であることは周知されているものと認識しております。

これは、私の著作集を垣間見ていただくだけでも明らかです。それだけに、本件記事が大きく報道されたことによって、私がどれほどに悔しい思いをしたか、私の社会的な評価がどれだけ低下したかは、図り知れないところであります。」(京極さんのホームページより)

この事件はいわゆる「盗用」という場合に、それが「論文」のように公的にある要件(査読や出版など)を満たしている文章だけなのか、それともある組織の部内に提出されたものも含むのかという曖昧なところから起きたものである。

そしてSTAP事件でも見られたように、「論文」、「盗用」、「使い回し」などの扇情的な用語が事実とは違う形で新聞紙上の載り、事実をよく見ないメディが追従するということが行われた。

(注) 私が書いたこの文章はかなり私自身の文章の部分が多いが、京極さんのコメントは「無断引用」(京極さんにここに引用することを断っていない)である。

これは私が長い執筆生活で、最初の頃はこのような場合、いちいち、ご本人やご遺族のアドレスや住所を調べ、ご本人の了解を取ろうとしていたが、ほぼ99%はご返事がなかったり、住所がわからなかったり、亡くなっている場合にはご遺族がわからなかったりする場合がほとんどだった。そこで10年ほど前から「無断引用」させていただき、何かのご連絡があれば、そこで承諾を得たり、承諾が得られなければ削除しようとしている。

私は10年で膨大な書籍やブログなどを出しているが、まだご連絡を受けたことがない。私の感じでは、よほど誹謗中傷にわたらなければ、日本の文化の場合、意図的であると相手が思わない範囲では、むしろ問い合わせても「何を問い合わせてきているか理解できない。良いに決まっているじゃないか」ということが多いようである

4. STAP細胞事件

2014年におこったSTAP細胞事件には、二つの剽窃疑惑があった。一つは著者の一人である小保方春子さんの早稲田大学時代の博士論文の剽窃、またネイチャーに掲載された論文の一部の文章が他の論文の記載と類似しているという指摘である。

早稲田大学の方は正式な委員会も開かれたが、「不正であるが、審査に問題があった」ということで博士号の取り消しはされなかった。またネットでは、早稲田大学の博士論文では剽窃は日常的であるとして、小保方さんが所属していた常田研究室のほか、西出、武岡、逢坂、平田、黒田の6研究室で、24名の学生が特定されていて、さらに増えるとされている。

つまり早稲田大学では論文の記述に他人の論文を使用することが行われていて、特に審査はなされていなかったと考えられる。この件について審査に当たった教授などの発言がないので、まだ不明な部分が多い。

博士号の主査は基本的には“D○合”と言われる特別な資格を持つ教授又は准教授しかできないので、かなり学問的にはレベルが高い。それに普通は5人の合議で行われ、一人は学外者が入る。また論文審査、口頭試問、公聴会(学外の誰でも参加できる)を経て、最終的には教授会が認定する(学長は授与だけ)。

このようなことから現在進行形ではあるが、早稲田大学は「他人の論文の使用」を「不正ではない」と考えていたと考えられる。なお、小保方さんが盗用したとされるNIH(アメリカ国立衛生研究所)の文章は著作権がない。これはアメリカ著作権法105条で、連邦政府の著作したものには著作権がないとされているからである。ふつうに考えれば、著作権のないものは「自由に使用してよい」ということなので、早稲田大学で使用したと思う。

ただ早稲田大学の委員会は、「アメリカの著作権法では著作物ではないが、日本の著作権法では政府の著作には著作権があるので、それはアメリカにも及ぶ」という奇妙な論理が説明されている。

(注) ここでは、直接的に私が文章を写したり、ほぼそのままの内容になっているところはないが、早稲田大学の博士論文に剽窃があるという情報については、「弁護士ドットコム」というサイトの孫引きである。著作権法的には問題はないと思うが(後に著作権法については整理する)、このブログのようなものが「剽窃をしてはいけない論文」であるかどうかは不明である。

つまり、京極さんの場合も「報告書と論文」の違いがあり、この場合は、「ブログ記事と論文」の差である。私も論文を書くときには(あまり本意ではないが)引用をするが、一般書籍やブログのような場合は引用しない。「引用する」と言っても、「引用の作法」があり、著者、雑誌名、巻号、ページ、発行年などを記載する必要がある。

また近年、すこし変わってきたが学会の多くはネットからの情報を引用として認めないことがある。これはネットの情報の信頼性が低いことと、ネットは不意に情報を見ることができなくなるという特徴があるからだ。しかし、すでにネットで提供される情報は多く、それを引用できないというのはかなり問題も含んでいる。


(平成26年7月31日)

武田邦彦

(出典:武田邦彦先生のブログ




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