2014年9月12日金曜日

【STAP騒動の解説 260912】 STAPの悲劇を作った人たち(9) 主犯 NHK-5 個人をリンチした公共放送




STAPの悲劇を作った人たち(9) 
主犯 NHK-5 個人をリンチした公共放送



2014年7月末に放送されたNHKのSTAP事件の特集番組はその内容もともかくながら、1)小保方さんを取材で怪我をさせた、2)私的なメールを男女関係を匂わせる映像で流した、という二つの「公序良俗」に反することをしたことに絞りたい。

NHKが7月末の番組制作にあたって最後の取材をしていた7月中旬、笹井さんは記者会見でチェックが甘かったことを認め、小保方さんはSTAP細胞の再現実験に取り掛かろうとしていた。すでに問題となったSTAP論文が取り下げられ、NHKの言うところでは「論文が不適切だった」という点では何の問題もなくなった。次は、理研の不正な委員会で小保方さんが不正とされた処分をどうするかという理研内部の問題と、STAPの再現実験にある程度の意味はあったが、すでにSTAP事件についてはケリがつき、NHKが放送するようなことはなかった。

この時点で相変わらず、小保方さんを追求していたのは、三流週刊誌は別にして、毎日新聞、分子生物学会ぐらいなもので、もしこれ以上の追求をするなら「理研はなぜあれほどの大々的な記者会見をしたのか」とか、「科技庁と理研の癒着問題」などであった。

ところが、NHKは「国民の知る権利」という名目で、小保方さんが実験のために研究室に行く途中を襲ってホテルの中を追い回し、カメラマンが逃げ惑う小保方さんをエスカレーターかエレベーターに追い詰め、2週間の怪我をさせた。

この怪我について、多くの新聞が「軽微な怪我」という表現をした。仮にマスコミ以外の一般人が第三者を追い詰めて怪我をさせたら、マスコミはかなり厳しくバッシングしたと考えられる。なぜ、マスコミが「軽微な怪我」としたのか、それはマスコミ同士のかばい合いと、小保方憎しの感情にほかならない。

さらに逃げ惑う小保方さんを女子トイレまで追い詰め、NHKの女子社員がトイレの中まで入って閉じ込めるに至った。現代の日本で犯罪人でもない一人の若い女性をこのように取り扱うのは「重罪」であり、「公序良俗に反する」と言える。

日本は法治国家であって、「NHK暴君支配国家」ではない。NHKは一般人を追い詰め、トイレに閉じ込め、怪我をさせる権利はない。

さらに番組では、笹井さんと小保方さんの私信(メール)を公開した。それも本人ではない人がナレーションをつけて読み上げた。実に醜い番組だった。メールというのは手紙と同様に「私信」である。犯罪捜査や裁判では証拠として採用されることもあるだろうが、それ以外はメールを暴くことは許されることではない。

もし、普通の人(たとえば私)のメールが何か起こったら直ちにNHKが公開するというのでは到底、安寧な人生を送ることができない。普通、男女間ではある程度の男女の関係を類推できるようなメールがありうる。たとえば男女になんの関係もなくても、社交辞令として「この前の食事は楽しかった。またご一緒に」などというメールもありうる。

しかし、そのようなメールをナレーションつきで怪しげな放送をしたら、多くの人は誤解するだろう。それではたまらない。幸い、笹井さんと小保方さんの間のメールは実に真面目なもので、本当によかった。この日本が憲兵国家、しかもそれがNHKという公共放送を通じて流れるようになったかと思うと、このことに反撃するマスコミ関係者や学者が少ないことに驚く。

法治国家においては「良い悪い」を任意の団体が決めて、その力でするのはリンチというもので、それは「娯楽」に基づいて行われる野蛮な行為である。このことだけでもNHKは公共放送としての資格はない。

際限なく続く理不尽なバッシング、それも公共放送としてのNHKの私的リンチに耐えられず、笹井さんは命を落とした。実に無念だっただろう。笹井さんはなにも悪意はなかった。若山氏の依頼を受けて若山氏の論文を書き直してネイチャーに掲載させるように努力しただけだ。

その人を死に追い込むまで、不当なバッシングを続け、けがを負わせ、私信を公開し、苦しい研究をしたことがない評論家を集めて、当人たちを出席させないまま、すでに取り下げた論文の批判を行うなど、今後の日本の科学を考えるとゾッとすることをNHKがやった。

笹井さんの死の責任をとり、NHKが何らかの措置をすることを望む。今回のSTAP事件はテレビと新聞が(裁判などではなく)、一個人を追い詰めて自殺するまでやめないということが起こることを実証した。日本のマスコミがこのような暴力、リンチをするようになった現状は日本の正しい発展に間違いなく障害になる。

マスコミ・リンチ殺人というべきであり、鳥インフルエンザの浅田夫妻に続く大きな不祥事である。隠すことなく、この問題に関する全てのこれまでの取材記録などをネットで公開し、批判を受けるのが望ましい。

(平成26年9月12日)

武田邦彦

(出典:武田邦彦先生のブログ




2014年9月11日木曜日

【STAP騒動の解説 260902】 STAPの悲劇を作った人たち(8) 主犯 NHK-4 常にコウモリ報道




STAPの悲劇を作った人たち(8) 
主犯 NHK-4 常にコウモリ報道



すでに示したように主犯NHKの犯した反社会的な行為は、次の5つである。

1)STAP論文の記者会見を大げさに報道して有名にしておいて、後で叩くという「マッチポンプ報道」をしたこと。

2) STAP論文の主要な著者は4人なのに、小保方さんだけに焦点を当てて批判を展開したこと。完全にNHKの判断で「良い人、悪い人」を分け、著者の中でも恣意的に区別を行ったこと。

3) STAP論文にネットで疑義が出されると、「意見が異なる両者」の意見を比較して報道するのではなく、放送法4条に違反して「疑義を言う人だけの言い分を報道する」という放送法違反の報道をしたこと。

4)理研の調査委員会が結論をだし、論文が取り下げられたのに、特定の個人(笹井さん、小保方さん)の的を絞った批判の報道を続けたこと。

5)取材に当たって小保方さんに2週間の怪我をさせ、女子トイレに閉じ込めたこと。個人の私信であるメールを公開したこと。

今回は4)を整理する。理研は論文を出し、特許を出し、記者会見をした当事者なのに、ネットで論文の欠陥を指摘されると自らの判断や責任を回避して(はしごを外して)、裏切り行為にでた。そして、調査委員会を開き(最初の調査委員長は同種の論文不正で退任)、理由を明示せずに著者の一人(小保方さん)だけを「不正行為をした」と認定した。

これに対してNHKは理研の手続きや判断の不正を問題にせず、「小保方さんの不正が確定した」と報じた。そしてさらに問題の論文が取り下げられたので、「論文を出した4人の著者の責任」はなくなった。もし、この問題をきっかけに「日本の科学技術のあり方」とか「理研の闇」を追求するとしたら、それは小保方さんやその論文の不備を指摘したり報道したりすることではなく、政府の研究費配分のあり方、文科省などの「盗用、剽窃、悪意」などの規則の非合法性、税金を使った研究の成果としての論文などの所有権の問題などに進むべきである。

さらにもし個人的な問題があるとしたら、若山氏(正規の研究員で上司)と小保方さん(無給研究員で部下)が共同執筆者で投稿したSTAP論文が若山氏がサイエンスなどの雑誌に出し、ネイチャー論文が問題になるとまるで他人の論文のように批判側に回ったのかなどの謎に迫るなら、まだ意味があった。

しかし、7月末のNHKの笹井さん、小保方さんのリンチ番組に至るまで、NHKは「正義がどちらにあるか」ではなく、日本社会の誤解を拡大する方向の報道姿勢をとり続けた。これは朝日新聞が戦前は「軍部礼賛、アメリカ敵視」記事から、戦後は「平和主義、親アメリカ路線」に切り替えたのと同じだ。

しかし、朝日新聞は商業的に売れれば良いという新聞であり、商売だから若干の理由があるが、NHKは営利団体でない、誤解を拡大して視聴率を取る必要はない。むしろ、商業放送とは違うスタンスをとることができるから国民は受信料をとっているのである。

いずれにしても、「論文を取り下げろ」というからとりさげて「何もなくなった」と言いながら、さらに取り下げた論文の著者のうち、特定の個人だけを狙った報道はいかにも悪質だった。人間が悔しく、かつ反撃の意欲を失うのは、不当なバッシングがある時だ。正当なバッシングでしかも反論のチャンスが与えられれば人間は反論し、正常な精神状態にいることができるが、不当なバッシングと反論の機会を与えないというのは、まさに芥川龍之介が書いたように「ピストルの代わりにペンを持ち、娯楽の快感を味わってリンチをした」と言えるだろう。

(平成26年9月2日)

武田邦彦

(出典:武田邦彦先生のブログ



2014年9月9日火曜日

【STAP騒動の解説 260909】 STAPの悲劇を作った人たち(7) 主犯 NHK-3 暴君の放送法違反



 
STAPの悲劇を作った人たち(7) 
主犯 NHK-3 暴君の放送法違反



すでに示したように主犯NHKの犯した反社会的な行為は、次の5つである。

1)STAP論文の記者会見を大げさに報道して有名にしておいて、後で叩くという「マッチポンプ報道」をしたこと。

2) STAP論文の主要な著者は4人なのに、小保方さんだけに焦点を当てて批判を展開したこと。完全にNHKの判断で「良い人、悪い人」を分け、著者の中でも恣意的に区別を行ったこと。

3) STAP論文にネットで疑義が出されると、「意見が異なる両者」の意見を比較して報道するのではなく、放送法4条に違反して「疑義を言う人だけの言い分を報道する」という放送法違反の報道をしたこと。

4)理研の調査委員会が結論をだし、論文が取り下げられたのに、特定の個人(笹井さん、小保方さん)の的を絞った批判の報道を続けたこと。

5)取材に当たって小保方さんに2週間の怪我をさせ、女子トイレに閉じ込めたこと。個人の私信であるメールを公開したこと。

1),2)については整理を済ませたので、3)へ進みたい。STAP事件が2月に起こってから、4月になると、この問題について、意見が2つに分かれていることが明らかになった。さらに6月末になると旗色は鮮明になる。

1)当事者のうち、笹井さん、小保方さんは「研究も論文も一所懸命やった。すこし間違ったが大筋で問題がない」という立場だ(これが一方の当事者。ネイチャーも掲載した以上は形式的に支持の立場)。
2)当事者のうち、若山氏、理研は自分の行為は自分の意思ではないという「裏切り」の言動にでた。

3)外野(ネットの匿名バッシング、テレビに出る専門家(テレビは報道しようとすることをいう人しか出さない)、マスコミ、芸能人など)は「論文を取り下げろ」、「再現性が問題だ」という立場を取った(人名は記録しておく必要がある)。

つまり、この問題は、裏切り者(自分の行為を自分で責任を持たない人)を除いて、はっきり、2つに分かれていた。放送法第4条(極めて重要な条文)には、

「四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。」

とあり、報道はこの条文に違反しないように最大の注意を払う必要がある。ところが現実に行われた報道は当事者側では記者会見をほぼそのまま報道するだけで、その記者会見も記者の質問は「糾弾」と言えるものだった。

つまり、「研究も論文も非難するほどのことではない。むしろ日本の学術の発展に寄与する」という立場の論評はまったくなかった。実は私のところにも10回程度、テレビなどから取材があったが、東京や大阪のテレビは私が「論文は優れたものだった」というと、それで「ああ、そうですか。それじゃ」と取材を打ち切った(具体的な放送局名や質問内容などは講演会などでは言うことにしている)ことからわかるように放送法を守ろうという雰囲気はなく、単にバッシングしたいという一念だった。

このように「放送局自体が、事実ではなく、ある価値観を持って善悪を決める」という姿勢は今に始まったことではない。慰安婦問題や南京虐殺報道の朝日新聞、台湾報道やツバル報道などのNHKに象徴されるように、NHKはすでに「自ら善悪を決める神様」と「それを一方的に強要する暴君」を兼ね備えるようになった。

政治家が抵抗できない報道という権力と、厚い弁護士団に守られたNHKは法律違反など大したことはない、その意識がこの報道でもはっきりと見えた。まさに個人に的を当てた「自分の娯楽のためにピストルの代わりに報道を使うリンチ」をしたのだ。

(平成26年9月9日)

武田邦彦

(出典:武田邦彦先生のブログ



2014年9月8日月曜日

【STAP騒動の解説 260908】 STAPの悲劇を作った人たち(6) 主犯 NHK-2 好き・嫌い報道




STAPの悲劇を作った人たち(6) 
主犯 NHK-2 好き・嫌い報道



前回、示したように主犯NHKの犯した反社会的な行為は、次の5つある。

1)STAP論文の記者会見を大げさに報道して有名にしておいて、後で叩くという「マッチポンプ報道」をしたこと。

2) STAP論文の主要な著者は4人なのに、小保方さんだけに焦点を当てて批判を展開したこと。NHKの判断で「良い人、悪い人」を分け、恣意的に的を絞ったこと。

3) STAP論文にネットで疑義が出されると、「意見が異なる両者」の意見を比較して報道するのではなく、放送法4条に違反して「疑義を言う人だけの言い分を報道する」という放送法違反の報道をしたこと。

4)理研の調査委員会が結論をだし、論文が取り下げられたのに、特定の個人(笹井さん、小保方さん)の批判を続けたこと。

5)取材に当たって小保方さんに2週間の怪我をさせ、女子トイレに閉じ込めたこと。個人の私信であるメールを公開したこと。

このうち、1)については先回に整理し、マッチポンプが誤報を生んだことを証明した。

今回は、2 著者は4人である。研究の主任的立場にいた若山氏、指導的立場で論文の執筆に当たった笹井氏、組織として研究を支援し、論文を指導し、記者会見を主導した丹羽氏、それに若山研究室で無休研究員として働き、実験を担当していた小保方さんだ。

大学でもこのようなケースは多く、教授が立案し、准教授が日常的な指導をし、博士課程の学生が発表することがある。その場合、教授なども発表会場にいて、実験した学生に発表させるが、質問などがこじれた場合、責任者として学術的に回答するのは教授か准教授であり、まさか30歳前後の若い人に全責任を負わせ、その発表に名前を連ねている教授や准教授が「私は知らなかった」などということを聞いたことはない。

普通は、厳しい質問が来て、若い人が答えにくい場合、教授は率先して手を挙げ、「共同研究者ですが・・・」とどんな場合でも発表に対して責任を持つ。そんなことはあまりに当然で、発表した後、だれかしつこい人が若い人に廊下などで回答を迫り、怪我をさせ、おまけにトイレまで追いかけて閉じ込めるようなことが怒ったら、教授は身を持って、それを防ぐだろう。

ところがSTAP事件ではマスコミはこぞって小保方さんを批判し、NHKの記者も小保方さんの記者会見で悪意に満ちた質問をした。仮にNHK以外のマスコミが興味本位に走って小保方さんを批判することがあると思うが、そのためにこそ、私たちは受信料を払って、NHKが「正しい報道」をし、それを見て判断をしようとしている。

NHKは、他のマスコミが小保方さんの個人批判を続ける中、彼女の卒業論文や個人的なことは別のことであること、責任を持つべき著者は「正規の理研研究員」(毎日新聞によると問題の核心は小保方さんの無給研究員時代に若山氏が出した論文だという)であり、それはまず第一に若山氏である。

ある事件が起こったとき、あるいはNHKが誤報をしたとき、NHKが恣意的に「犯人」を決めて、その犯人のことを集中的に報道することはもちろん望ましくない。後に理研が小保方さんだけを「犯人」にして、論文の不正の責任を彼女だけに被せた。たとえば、小保方さんの実験ノートが不十分であるとの報道があったが、若山氏の実験ノートや研究記録もある。なければ共同著者になること自体がサギになる。

研究は実験が主ではない。実験だけならロボットでも自動測定器でも、自動培養器でもできる。研究において「人間らしい」活動というのは、実験データの解析、解釈、評価、結論などであり、それは役割から言えば、若山氏の役割である。だから、小保方さんに充実した実験ノートを求めるなら、若山氏に立派な解析結果、評価結果を求めるべきだ。

事実、若山氏は3月に外国のインタビューに応じて、「自ら実験しSTAP細胞を確認している。自分の学生も確認した」と述べている。その時の実験ノートこそ、問題にすべきものである。

芥川竜之介が書いているように、「リンチが娯楽になり、ピストルと報道は同じ」ということを防ぐためには、NHKのような独占的報道機関が「どうせ、庶民がもがいても、おれは権力があるから、何とでもできる」という気持ちを持ち、報道で人を殺すことに対して、その「快感」以上のブレーキを持つことだ。それは記者ひとりひとりの良心や人格でもあるし、NHKという報道システムが持つべき社会的責任でもある。

STAPの悲劇が現実のものとなった今、NHKの報道責任者はSTAP関係者をリンチすることに無常の快感を味わったとして良いだろう。でも、この推論にはぜひ、強く反論してもらいたい。なぜ、4人の著者のうち、指導者を無視したのか、なぜ小保方さんの実験ノートだけを問題にしたのかなど詳細にわたって、その理由を明らかにするべきである。

人からお金をもらうというのはそんなに簡単なことではない。NHKの認可、予算承認は国会がやっているように見えるが、それは受信料を払っている国民が単に委託しているに過ぎないからである。人の命を取るような報道がされた場合、NHKは国会での説明では不足する。

(平成26年9月8日)

武田邦彦

(出典:武田邦彦先生のブログ





2014年9月6日土曜日

【STAP騒動の解説 260906】 STAPの悲劇を作った人たち(5) 主犯 NHKー1 佐村河内氏に続くマッチポンプ




STAPの悲劇を作った人たち(5) 
主犯 NHKー1 佐村河内氏に続くマッチポンプ



NHKがSTAPの悲劇に主要な役割を果たしたことは明確である。それは主として次の5つに集約される。

1)STAP論文の記者会見を大げさに報道して有名にしておいて、後で叩くという「マッチポンプ報道」をしたこと。

2)STAP論文にネットで疑義が出されると、「意見が異なる両者」の意見を比較して報道するのではなく、放送法4条に違反して「疑義を言う人だけの言い分を報道する」という放送法違反の報道をしたこと。

3)STAP論文の主要な著者は4人なのに、小保方さんだけに焦点を当てて批判を展開したこと。完全にNHKの判断で「良い人、悪い人」を分け、著者の中でも恣意的に区別を行ったこと。

4)理研の調査委員会が結論をだし、論文が取り下げられたのに、特定の個人(笹井さん、小保方さん)の的を絞った批判の報道を続けたこと。

5)取材に当たって小保方さんに2週間の怪我をさせ、女子トイレに閉じ込めたこと。個人の私信であるメールを公開したこと。

佐村河内氏の報道問題でNHKは謝罪したばかりだが、それと全く同じ「マッチポンプ型報道」を行った。1月末の記者会見では「リケジョ」を前面に出し、科学的業績より、若い女性であることに焦点を当てて報道した。

NHKが報道するにあたっては、記者や関係者が責任を持って報道するものが適正であるかをチェックする。特に社会的影響の大きいNHKの場合、十分な人材でチェックを行う。佐村河内氏の時は「個人」だったが、すでにNHKと佐村河内氏との付き合いは10年を超えているのに、「耳が不自由である」という報道をした。NHKが知っていて「架空の英雄」をでっち上げたと判断されるだろう。

今回もNHKの報道の数日後には激しいネットの批判が続いた。だから、「理研が発表したから信じた」という釈明はできない。つまり報道というのは公式発表をそのまま伝えるのではなく、それが「事実である」とNHKが判断して報道するものである。社会にウソやサギが横行していることは周知の事実であり、ネットではなくNHKの報道が高い信頼性を持っていたのは「NHKのフィルター」の信頼性が高いことにほかならない。

私たちはNHKフィルターの信頼性で受信料を払っているのであり、誤報が続くなら、NHKでなくてもタダのネットでいくらでも情報を得ることができる。だからNHKの誤報というのは他の放送局やネットに比べて格段に厳しい事を知ってもらわなければならない。私たちはNHKの社員を「雇用するため」に受信料を払っているのではない。少なくとも重大な誤報があったら、受信料の支払いを求めて訪問する人を「お詫び」に回らせるぐらいの覚悟がいる。

・・・・・・

マッチポンプ型の誤報には、「不作為の誤報」と「作為的誤報」がある。作為的誤報は、最初から視聴者をダマすつもりか、あるいは大げさな報道の場合に起こる。その特徴は、「報道すべきこと以外のことに重点を置く」という特徴がある。

佐村河内氏の誤報の場合、もともと彼の作曲が良いのだから、「曲の評価」を中心にして報道していれば、あんなに大騒ぎになることはなかった。ところが、佐村河内氏が耳が不自由であるとか、広島(HIROSHIMA)と名づけた曲がなんとなく原爆との関係を思わせ、さらにそれを増幅させたのが、彼を東北の被災地まで連れて行って子供と対話する番組を作ったことだ。

耳が不自由なことで「現代のベートーベン」(ベートーベンは晩年、聴力を失っている)というコピーを宣伝し、広島、東北という悲劇の地との関係を強調することによって、曲の評価より人物像に報道の焦点を合わせた。このような手法は「下品」であり、「正統派」ではないことは明らかである。三流週刊誌が、本人の活動などより恋人、離婚などのゴシップを報道することからもNHKが取るべき手法ではない。

この手法はSTAP事件でも取られ、NHKは記者会見当日の夕方の国民的ニュースで「リケジョ」という女性蔑視の用語を多用したほか、研究室のピンクの壁、小保方さんの割烹着などに焦点を当てた。このことによって、論文自体の評価は後退した。

(NHKの報道)

仮に、NHKが論文と科学的業績に焦点を当てた場合、理研、京大、分子生物学会など関係する学者への放送の前のチェック取材を多くするので、その時点で「批判的論評」の取材があるはずだからである。

記者会見の後、数日であれほどの反撃があり、さらにすぐネットの批判に続いて、ほぼ日本全体の学者が「STAP悪し」と評価したところを見ると、記者会見の後、少しでも「国民に正しいことを報道しなければならない」という意識がNHKにあったら、批判的な学者に遭遇した可能性は高い。

もし、後の厳しい批判をした学者が「社会がSTAPを批判するまでは高く評価する」というのでは、学者ではないし、後にそのようなコウモリのような人に取材するべきでもない。つまり、

1)記者会見の後、真偽や評価をチェックしたのか?

2)その時に批判的な学者はいなかったのか?

ということで、チェックをして批判的な学者がいないのに、その後、あれほど全員一致で批判する(少なくともNHKの報道では、小保方さん、笹井さん以外は100%批判的だったということだった)事態にはならないだろう。取材したNHKか、コメントした学者のどちらかがウソをついていることになる。

それとも、後に批判した大多数の学者はNHKのチェックの時には取材されなかったとすると、NHKはSTAP論文を肯定的に報道するときに取材した人と、批判的に報道するときに取材した人を変え、それでもあえてそれが主な意見のように誤報を続けたことになる。

つまり、マッチポンプ報道というのは、NHKが作為的に報道しないとできないものであり、佐村河内氏の時も、STAPの時も実にいかがわしい取材に基づいた記事を書いたことが分かる。

(平成26年9 月6 日)

武田邦彦

(出典:武田邦彦先生のブログ





2014年9月2日火曜日

【STAP騒動の解説 260902】 時事評論 科学における日本の後進性




時事評論 科学における日本の後進性



STAP事件はさまざまな意味で、「科学技術立国」と言っている日本の多くの人がほとんど科学技術を知らないことを露呈した。たとえばごく最近でも、日経新聞の記者が「科学論文ではどんな仮説を立て、実験でどう検証し、結論に至ったかを具体的なデータを示し理路整然と説明しなければならない。」と書いている。

この記者は「優れた科学論文」を読んだことがなく、日本の多くの学者が出しているような「人の後を追って、条件を細かく検討している論文」しか見たことがないのだろう。科学は「仮説、実験、検証、結論、データ、理路整然」が大切なのではなく、「直感、推定、あやふや、再現性なし・・・」でもなんでもよく、要はわれわれ人間がどうしたら自然を少しでも理解し(理学)、その原理を人間社会に役立てるか(工学)であり、「確実性」などは本来は関係がない。

かつて日米の学生の態度を比較したものに、「エントロピーの原理が正しいかを疑って、若干の考察をせよ」という出題に対して、アメリカの6割の大学生がチャレンジするのに対して、日本の学生はほとんど全てが取り組まない(エントロピーの原理は正しいと教えられているから)というのがあった。自分で科学を切り開いてきたアメリカ人は、科学があやふやであることを知っているが、欧米が作り上げた科学を勉強し、それを金科玉条のように思って疑わない日本人の後進性を示している。

最近、相対論を疑っている人の話を聞き、その人が学会から締め出されようとしていること聞いた。そういえば、私もレベルは低いが、「リサイクルは資源の浪費を早める」という発表をした時に、発表会場から「売国奴!」と罵倒されたことがある。

日本人が科学を楽しむ柔らかい頭脳を持っていないのか、それとも野蛮なのかは不明だが、STAP事件は野蛮人が現代人を痛めつけた一つの例だった。しかし、日経新聞の記者が「科学論文はしっかりしたもの」と固く錯覚しているのは、日本の科学のトップクラスの人が後進性を持っているからにほかならない。そこではSTAP事件で頻繁に出てきた「科学者ソサエティー」なるものが存在し、開放的な科学ではなく、ボス社会を構成しているからだ。

(平成26年9月2日)

武田邦彦

(出典:武田邦彦先生のブログ





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